『同級生』『雪』『蛾』

 蝶番、蝶の物の怪。昼の者、蛾形とは似た容姿出で立ち。歳は二十三。
 蛾形、蛾の物の怪。夜の者、この二者は姉妹ではない姫々。歳は同じ。
 蜜蝋、蜜の物の怪。双姫に仕え、身辺を世話する女。雑用。歳は二十。
 蜂餓、蜂の物の怪。双姫に仕え、秘薬の元の蜜を集める女。歳は十七。
 花宮、花の物の怪。双姫に仕える庭師見習いの女児。歳は十。
 東光、人間の幼年。閑静な住宅街に母親と二人暮らし。歳は七。


 人の住まない自然の奥地、というのも消えつつある現代の中、こんこんと雪降らす天の上の住処、雲の間より下界を眺め談笑する。
「よもや人間達の時代に、妖怪なんぞが天に潜んでいようとは、人は夢にも思いませんでしょうねぇ。まぁ、その方が好都合なのですけれど」
 と、呟くのは蜂餓、人間らから少々の蜜を頂き、蝶番姫と蛾形姫へと捧げる召使い。
 傍らに世話役、蜜蝋も寄り掛かり、くすくすと微笑、共に下界を俯瞰する。
「そうね、我らにとって蜜は命、人間の蜜とお庭の蜜の掛け合わせ、一絞りで一月永らえる良薬ですもの。……蜂餓、ちょっとご覧なさいよ、雪が夕日を照り返して、まるで上出来な鼈甲飴のよう」
「ですねぇ、さぞかし甘いことでしょう。ああ、夕焼けと言えば、蝶番様がお戻りになって、蛾形様が起きる頃合いです。蜜蝋さん、私は蝶番様をお迎えに上がりますねぇ」
「ええ、ええ、こちらは蛾形様のお支度を」
 二人、それぞれに分かれる。蝶番、雲に入り翅を畳むと、白の和装を纏った姫へと姿を変えた。時折、織り込まれた銀糸がてらてらと瞬く。蛾形、寝所より顔を出し、蜜蝋が衣を替え髪を梳く。赤の和装に、金糸で縫い施された紋様が映える。
 両者お付きに促され、上座へと就く。
「おはよう、蝶、昼の遊覧は可笑しかったかい。ただ、ね、一緒に飛ぶことは叶わず」
「おはよう、夜の蛾形とは、朝霧夕闇にしか会えないものね」
「本当に。お互いの姿は似ているけれど、蝶と蛾、まるで役目が違う」
「それでいても、花、蜜を制するは同じでしょう。蜜はいかが」
「宵の景気付け、頂こうかね」
 蜜蝋、蝶番に徳利を、蛾形に猪口を捧げる。姫々、どちらからともなく身を寄せる。
 蛾形、伴侶より杯を貰い、淑やかに口付け、香りを食み嚥下する。
「美味しい蜜じゃ……寝起きの身に沁みる。自然の宝物、沃土清水に咲く花から滴る蜜に並ぶ絶品、それも今は昔」
「近頃取れるものも、濁り蜜ばかり」
 蛾形、黙して杯を煽る。
「蝶番様、蛾形様、珍しいものが見えますよ」と、姫元へ駆け込むのは蜂餓。
「あらあら、何かあったのかしらね」
「ああ」面を戻し「蜂餓、良いぞ、申してみよ」
「はい、氷張りの池で、何か、小さい男の子が溺れておりますよ」
「人間の子か。氷の上で溺れるとは面白い奴じゃ。溺れるなら愛に溺れよ」と、蛾形。
「いえいえ。同級生らで睦まじく戯れ合う最中、重みで氷が割れ砕けて、一人がどっぽん嵌まりました。それは、さながら八寒地獄。他の者は蜘蛛の子を散らすかの様に」
「寒空の下。このままだと、溺死より、凍死するやもしれません」と、蜜蝋。
「そう。人間の大人は嫌いだけれど、子供は大好き……助けてあげましょう」
 上座を離れ、両手を広げる仕草をすると同時に、美しい白銀の翅が現れる。
「蝶よ、私の燐粉を使いな。人間の目には、姿が見えなくなるよ」
 蛾形の背より翅を一打ち、赤い燐粉を放つと、蝶番にひらひらと塗す。
 お気を付け遊ばせ。女中の案ずる声を背に受け、蝶番、翅を伸ばし広げて下界へ降りた。姿は誰にも見えず。
 池の上に浮遊、にょろりと蜜を舐める長い舌を伸ばし、幼年の手が届く傍に垂らす。
 その子、東光は命からがらこれを掴み、蝶ノ姫は雪の陸地まで引き上げた。翼を翻し、落ちる燐粉は粉雪に混じり、区別は難しい。姿現れ、ゆらゆら雲間へと舞い戻る。
「帰ったか。蝶、あれを助けただけかい」
「ええ?」応えつつ、自身を叩き、被った雪を払い落とす。
「溺れは無くなったが、雪の上でも寒いのは同じこと。動かなくなってしまいました」
「えぇぇ、困ったわねぇ。救いたいけれど……ああでも、もう日が暮れます」
 蝶番、寝所へと身を隠す。「お召し替えを」後に蜜蝋も続く。
「闇夜に染みるか。蝶は眠り時、朝日を待て。では、今度は、私が向かい導きましょう」
 声高らかに呼ぶ。「――花宮、花宮」ちょこちょこと、庭から現れた女児、花の化身。
「まいりました、およびでございますか」
「ああ。花宮、下界の子のことは聞いているね」
「ぞんじております」
「お前が二、三束ほど摘んできておくれ。手が軽くては、帰る時奴も申し訳がなかろう」
「はい」と花宮、礼式正しくお辞儀をして、鮮やかに彩られる庭へと赴いた。
 冬の花が咲き並ぶ中から、言い付け通り三束見繕い、和紙包み、蛾形へと手渡す。
「雪中花とは、花宮、粋なものを選ぶじゃないかい。蜜も良い。ご苦労だったね」
「はい、うれしくぞんじます」
「花言葉は、記念、でございますねぇ」と、蜂餓。
「ああ、携えさせるには打って付け。黒天井を舞い踊るついで、下界へ参ります」
「どうか、ご自愛をお忘れなく」蜂餓、頭を下げ送り出す。
 蛾形、降り立ち、東光を袖の中に抱く。その醸し出す雰囲気が、まるで母の様相。水気を拭い、温もりを与え、力失う子を優しく起こす。
 懐より水仙の花束をぬっと出し、子の腕の内へ。呆然とする子の目前で、両掌大の赤い蛾に姿を変え、東光は目を瞬き擦る。羽ばたき、木々を潜り進み、街まで林を抜ける道標を担う。子が花を抱えつつ雪を蹴り、覚束ない足取りで追従する。
 ひらひら、よろよろ、ひらひら、ひたひた。繰り返す。
 街が見えた所で蛾形は姿を隠し、東光は見知った街並みに安堵する。子は一度暗い林を振り返った後、恐ろしくなり、一目散に家に向かって駆けて行った。
 蛾形はそれを見届けて、雲の住まいへと戻る。出迎えは蜜蝋。
「お帰りなさいませ、いかがでしたか」
「大事無い、子も帰った。今時分は、本物の母の腕の中でしょう」
「それは良うございましたね」と、にっこり微笑む。「最後までご覧になられては」
「ああ、そうさせて貰います」再び雲の隙間より下界を望む。
 別れた先。人間のねぐらへと無事帰る。帰るが、一間置いて極寒へと放り出される。
 手土産の花束、茎折れ、花弁落ちる。子も同じ。その屍を拾う者無し。
 泣き喚き、鉄製の戸をごんごろ叩いては、母を呼ぶ。また泣き叫ぶ。母を乞う。
「あれあれ、あんなに滴を零されて」と蜜蝋、不安めいた表情を映す。
 子、裸足で林まで駆け抜け、池の手前にて、餓えと寒さで倒れ力尽きる。
 蛾形無言、翅を広げて、するりと子の前へと降り立った。
「……母はいれども孤児か、のう」
 蛾形、以前同様に胸へ抱き、揺りあやす。子、しばしばと瞬いてから目を覚ます。
「お前はこれから、私どもの元で新たに生きるのです。時に子よ、名を何と申す」
 子、東光(あずまぴか)と、辿々しくも名乗りを上げる。
「あずまは良いが……ぴか? ぴかとは。何とけったいな名。私が新しい名をあげましょうね。光太郎と名乗るが良い。家名は捨てよ」
 子、与えられた名を呟いてみせる。しかし物心の無い七つの子、首を左右に、実母を呼ぶ、乞う、母に会えないのかと問う。引っ掴む。
「ああ。……」目を伏せ打ち沈む。「子よ、子よ、もう見捨てられたのだ」
 蛾形、そのまま子を抱え、飛び、天の雲間へと連れ帰る。
「おかえりなさませ、蛾形様」
 今ほどの出迎えは花宮。抱いた子と目が合い、ふんわりと花の微笑を投げる。
 蛾形、この機にと、花宮に光太郎を預け、庭への案内を申し与える。
 両者小さき手を取り、翔ける、跳ねる、花びらを纏う。秘薬の蜜を飲み交わす。
 光太郎、先刻現世を去り、この時より、天上を差し照らす光の物の怪となる。

                                     了