エロイムエッサイム、我は求め訴えたり
                                        

   prologue ―― the world of Grand-Grimoire
 

「はい次、出席番号十二番!」
 年増教師の神経質な甲高い声が、がらんとした実習館に響き渡る。
 十二とは私の番号だ。生徒数は年々減る一方で、このクラスは私が最後尾になる。
 私は彼女の前へ躍り出て、出席番号と名前を宣言する。本日の実習は、氷の魔法を用いて、バケツ内に張られた水を完全に凍り付かせれば成功という、至極簡単なものだ。
 見ていなさいオババ。こんな、手習い前の子でも遊びでやっている実習なんて、
「我は求め訴えたり! 氷雪のこんこんぎつね、舞え!!」
 詠唱とともに、私は右腕を掲げ、人差し指をバケツへと指し示した。すると、白い雪化粧を纏った狐が二匹、私に寄り添い、まるでじゃれる様に現れた。
 辺りから感嘆の声が上がる。件の教師は、帳簿を持ったまま鋭い眼差しを逸らさない。
 白の狐達は舞い、思惑通りバケツを凍て付かせ、水を凍らせ始めた。
 ふふ、どう、今回は完璧でしょ。いつも実習になると失敗して、笑われて、落第生のレッテルを貼られて、本当は悔しかったのよ。筆記は完璧なのに。
 でも、名を冠した者の召喚はとても契約が難しく、プロじゃないとまず無理で、まだ学生の私には、こうやって自然の象徴ぐらいしか呼び出せない。
 一同黙って見ていると、二匹の狐達は誤ってバケツをひっくり返し、驚いて慌てて逃げ去り、後にはバケツを帽子にした雪だるまが出来上がっていた。失敗である。
「えぇぇぇ……」うな垂れる私と沸き起こる忍び笑い。
「はぁ、十二番また失格と」教師も呆れ気味に、帳簿へと羽ペンで記載していた。
 もちろん、解散時に私だけ残され、先生のところへ放課後来る様にと言い付けられた。
 と、そんな感じで今日も今日とて、小言、繰言を遅くまで並べ立てられ、心身ともに疲労困憊で実習試験は幕を閉じたのだった。
 魔法学校からの帰り道、私は愛用の錫杖に横座りしながら、上下左右ひょろひょろと飛び、突き付けられた成績に打ちひしがれ、思い倦ねいていた。
 どうして上手くいかないんだろう。お姉ちゃん二人は、もうとっくに魔女になって活躍しているというのに、私は、ずっとダメな子のままなのかなぁ……。
 もう十六になるのに、召喚魔をまだ一つも使役出来ないなんて、ちょっと、自信失くしちゃう。私には、召喚士が向いてないのかもしれない。はぁ、やめちゃおっか――
「ぬわぁっ」
 余計なことを考えていたら、前方の大きな樹に気付かず、ぶつかって錫杖から落ちた。
 草の匂いを孕んだ風がざあっと吹き抜け、私の背まである長めの髪を靡く。夕暮れに染まる大樹の下で、頭の後ろに腕を回して枕にし、揺れる梢の中へ何気なく視線を注ぐ。
 私らしくもないな、追試くらい、何百回でも挑戦してやるんだから。それにしても、魔法の源でもある大樹さんは今日も元気なのに、私の召喚はホント成功しないのよね。
 学校を卒業して、早くプロ召喚になって、お姉ちゃん達と一緒に肩を並べたいな。
 プロの魔道士は魔女と称号が変わり、会得したスキルに見合った役職が宛がわれ、基本的な生産、輸送、経営、開発、建築、解体、修理、救護に留まらず、治安維持、防衛任務、人間界の観測や警護、脅威である魔界の偵察や監視、等々を主にして生業となる。
 召喚士は、幻魔、妖精、精霊、冠名の召喚と、徐々にレベルを上げては契約していく。
 私だって、精霊までは一通り契約出来てるんだけどなぁ……現われやしない……。
 その時私は、「あれ?」と、目をぱちくりぱちくり瞬かせる。
 陽が沈み、暗がりに染まっていく梢の中を見ていて、私の中で妙な違和感が芽生えた。
 そうだ。いつも鬱陶しいくらい枝葉から出ている、ダイヤモンドダストの様な魔力塵が、今は随分と少なくなっている気がする。
 だとしたら、私の召喚魔法が成功しないのもこれの影響?
「まさかね……」
 呟きとほぼ同時に、一番上の姉(おねぇ)から、ピアス型通信珠に呼び出しが掛かる。
 このアイテムは、通信珠通しの会話だけでなく、相手や登録メンバーの居場所も探知することが出来る。詮索されたくなければ、待機魔力を全面カットしておくと、ピアスやイヤリング、コームやブローチといった、ただの装飾品へと成り下がる。
 私はピアスを指先で触れ、意識を集中すると、急いた姉の声が頭の中で連結された。
 話を聞けば、何やら三姉妹緊急召集らしい。よく分からないけれど、早く帰った方が良さそうなことは確かだ。二番目の姉(あねぇ)も、もう帰宅しているとのこと。
 用件が終わったのか通信が切られ、私は大きな根っこの近くまで趣き、転がっていた錫杖を拾い上げた。さっきと同じ方法で横座り、自宅へ向かって飛翔する。
 跨っても良いのだけど、あれは、女の子の部分が痛くなるし、私は好きじゃない。
 高度を上げつつ俯瞰すると、大樹周りに作られた私達の町が一望出来た。南にある木造りの小さな魔法学校を後目に、樹木の密度は低いけど葉は生い茂っている森を越える。
 色々な植物達が発する青い香りや、夜の帳が下りるのを感じさせる沈んだ空気が、吹き付ける風と混じり合って鼻腔をくすぐった。
 毎日通っている空の道なのに、私は楽しくなってきて、急降下、小橋が掛かる水路の上を滑る様に高速で飛行し、セピアに彩られた水飛沫を立ててはまた空へと舞い上がる。
 一息吐いて地平線を望み、橙色と紫色と黒色のグラデーションの艶やかさを目に映しながら、乱れた髪をさらりと掬い上げた。満足したので帰路に就く。

 ほんのり明かりが灯った、我が家前で錫杖を降りる。門を開けて、石畳が敷かれた庭を通り、両開きの扉を開けると、姉二人が揃って出迎えてくれた。
「おかえりなさい」「おかえ」
 長女二十五歳。おねぇは黒魔道士をやっていて、眠らずとも魔力が自然回復するという黒紫の衣装を纏う。彼女は指先一つで、火土水風氷雷闇を何も無いところからでも発動させることが出来る、かなり高位の魔女の優しいお姉ちゃん。大好き。
 次女二十二歳。あねぇは白魔道士で、赤い縁取りの白衣装を纏う、光に特化した存在。治癒、治療、再生、修繕を得意とする。しかし、取り繕った外面とは裏腹に、内面はとても冷徹で、取捨選択厳しく、完璧主義の怖いお姉ちゃん。近寄り難い。
 あねぇは容姿端麗だけれど、もし襲おうものなら、殿方の秘法は一夜にして粉砕されることは間違いない。彼女を形容すると、〝次女に鈍器〟〝次女が歩けば棒も伏せる〟〝次女に右腕を上げさせるな〟〝俺は人間をやめるぞジジョォォォォォ〟など。
 おねぇがこちらへ歩み寄り、帰って来て早々、話す間も無く赤い紙を手渡される。
「ただいまぁって、えと、これは?」
 私が紙をひらひらさせつつ訊くと、傍らからあねぇも同じ赤い紙を示した。
「婆ちゃんから、人間界への派遣が命ぜられたのよ」
「お婆ちゃんが? どうして?」
 私達のお婆ちゃんは魔法世界の長で、全盛期に様々な魔法を習得し、前線を退いてからは、後世の若い魔道士へ見聞を広めて過ごしている。おねぇが口を開く。
「あなたも薄々気付いているでしょう? 最近この世界の魔法力が弱くなって、あらゆる魔法の効力が落ちているということを」
「あ、そうそう、やっぱり大樹さんと関係があるの?」
 打ち頷き、続けて話してくれる。
 大樹が生む魔力は、人間の感情や心情と感応して生まれるのだけど、近頃人間界で無感情な者が急増しているらしい。それで魔力生成が弱くなっているのだと言う。
 あねぇが唇を噛みがちに、
「原因は、分かってる。魔法世界に反旗を翻した魔道士がいるの」
「えっ、裏切ったってこと? 誰が何のために?」
「通称、青い魔女。コイツが、人間界で暴れてるのよ。私も一度組んだことがあるけど、すぐ身内を作って動きたがるから、すごくやり難い相手だったわ。何より厄介なのは、今回コイツの側近に、赤い魔女がいるってこと」
「青と赤の魔女……」私は相槌を打ちながら、学校で習ったことを思い返す。
 青い魔女は、怪物や化物を魔力で造り出して使役し、尚かつ自らの身に魔物の力の断片を宿し、行使することも出来るタイプ。
 赤い魔女は、魔法力を相手に送り込むことを得意とし、プラスの魔法力なら、魔力回復や身体能力の強化がなされ、マイナスの魔法力なら、足止めや抵抗力低下など弱らせることも出来ると先生は言っていた。
 難関な魔女クラスにまで上り詰めていて、どうして突然こんな騒動を……。
「お前達、揃ってるね?」
 奥から、お婆ちゃんの嗄れた声が聞こえた。こつん、こつんと年季の入った杖を突きながら、のっそり姿を現す。白髪頭で腰が曲がり、真っ黒なローブに身を包んだ、いかにも大魔女らしい風貌をしている。私達の前までやって来て、
「ありがとう、よく集まってくれた。今回の事件、概要は聞いているね?」
 こちらに目配せ、「はい」と姉達、私も一つ頷いて答えた。
「うむ。青い魔女はな、鍵を複製して門を開き、掟を破って人間界へ侵入した。そればかりか、あちらの人間とも接触したのだ。それも一人や二人ではない。
 ヤツの特性は知っていよう。魔物の持っていたアキュムレーションを宿していてな、あらゆる者から心を奪っては集積し、自らの魔力へと変換して蓄えておる。
 こちらの世界の魔法力が小さくなり、大樹が弱っているのもそれが原因だよ。まぁ、いずれ私の元へ戻り、仕返しに来るだろうね。破門した張本人なのだからな。
 それにしても、術が効かず歯向かった人間には魔法生物を当て付ける始末で、今や人間界は、たった一人の魔女の手によって危機的状況に晒されているのだ。
 この事態を収束すべく、大魔女の家系が第一線で向かわねばならんのだが、私は耄碌した、娘夫婦には要となる役職がある。勤めをほっぽり出して、おいそれと籍を外す訳にもいかん。魔界への防壁を解くことにも繋がるからね。
 そこで、お前達三姉妹には急遽人間界へ向かって欲しいのだ」
 それぞれが持つ赤い紙を、枯れ枝の様な指でちょいちょいと指し示した。
「その護符が、向こうへ転移するための特製アイテムだ。三人力を合わせての魔女討伐、複製された鍵の破壊。そして、人間に心を、大樹に魔法力を取り戻してやってくれ。
 以上が、今回の指令だよ。成功した暁には、大樹から削り出された神器を授けよう」
「分かりました」おねぇが楚々とした返事をする。
 お婆ちゃんが目玉を剥き、「カアァッ」と手の平を翳すと、例の赤紙がぼんやりと光り共鳴し始め、床に描かれた六芒星と七惑星が私達を包み込んだ。隣であねぇが叫ぶ。
「婆ちゃん! まだ出発の準備が! それにまだ夜だし、明日の朝にでも! ああっ!!」
「えっ!?」私の視界は暗中に閉ざされ、音も人の気配も途絶えた。
 着の身着のまま、慕う姉が一緒とはいえ、何か嫌な予感を覚えずにはいられなかった。

   the first ―― Slay Monster's Nest